コンピューターに代替できない仕事

多くの仕事が・・・

多くの仕事が人間ではなくて、コンピューターに置き換えられていく今日この頃。自動車の自動運転がもうすぐそこまで来ていて、タクシードライバーは淘汰されてしまうのかもしれない。

医者や弁護士といった専門的な知識と経験を売りにする仕事さえも、ビッグデータの前では圧倒的に情報量で負けているし、この先どうなるかは知れたものではない。

コンピューターの技術躍進は、ありとあらゆる方面に波及していき、「人間にできる事」を代替可能にしているように見える。

洗濯機と乾燥機があれば、衣類の回転は極めて楽チンだし、最近では掃除のような仕事もルンバで代替可能である。日常生活の家事全般についても、最早人間ではなくてはならない理由はないように見える。

でも、まだできないこともある。

私は先日、とある日本人の方から日本語の文章の英訳を依頼され、それを行ってみた。しかし翻訳すべき日本語の前後関係を知らなかったので、意味を理解した上で翻訳するのには多少手間取った。

前後関係を問い合わせてから翻訳を完成させ、試しに原文をGoogle翻訳にかけてみた。そしてわかった事は、「なんだ、まだこの方面では侵食されていないな」という事であった。

主語が欠落している日本語の翻訳はできない!

Google先生は、1対1の情報検索であれば他に太刀打ちできる相手はいないのだけど、情報の断片が集まって形成される「意味」を理解する事については、まだまだ小学生レベルなのである。

どういう事かというと、Google先生は文脈というものを考慮せずに、ただ機械的に一つ一つの文章を翻訳しているだけに過ぎないという事である。

一つの文章を直訳すれば、その意味はわかる。しかし全体として、翻訳された文章を眺めたときに、意味がチグハグになってしまう事が殆どである。

とりわけ日本語では、主語の欠落している文章が多いため、Google先生は大いに滑稽な珍回答的な訳文を差し出してくれる。

意味を汲み取る必要がある

意味をくみ取るとは、どういうことなのか。

それはまだGoogle先生が、文章の「意味」を理解していないということに他ならない。私は翻訳作業を終えた後で、同じ原文に対して「どちらが自然な翻訳だろうか」という事を考えてみて、明らかな人間側の勝利を感じた。

単語の繋がりから意味を派生され、一つのストーリーとして意味を形成する事。その点については、まだまだ人間の側に軍配が上がっている。

考えてみると、関連を想起する事、点と点を繋いで意味を作り出す事こそが、人間にしかできない仕事なのではないだろうか。少なくとも今の所は、そういう風に思ってそこに逃げ道を求めたら良いのではないだろうか。

英語の文章を翻訳しながら、そんな事を考えた。