超監視型社会への危機感
事の発端は、事業計画書をnoteで販売した直後に市役所から事情聴取をされたことでした。
突然電話があって「この時間にこの場所に来てください」と一方的に市役所から告げられたときに頭に浮かんだのは、『共謀罪』という単語でした。
この先、私がブログを通じて情報発信をして、何か役所にとって「気にかかる記述」があった場合、私は永遠に監視され、事情聴取をされ続けてしまうのでしょうか???
そんな危機感を感じました。
幸い、今回の件は「指示勧告」ではなく「注意助言」だったので助けられましたが、こういう赤紙的な招集が今後もあるかもしれないと思うと、非常に気が重くなります。
『共謀罪』について
昨今、ニュースを賑わせている『共謀罪』ですが、とても危険な法案ですよね?
私の友人からも指摘がありましたが、
国を批判すると、マークされるから気をつけた方が良いよ。
ということでした。確かに、本当にそのとおりだと思います。
国にとって、或いは役所にとって、不都合と見なされた場合、強制的に事情聴取をされたり、強制的に罪に問われたりされてしまう訳ですから。
大げさな例ですが、
たとえば影響力のある人物がブログで、あくまで比喩的に
『役所なんて無駄だから、ぶっ壊してしまえ!』
なんて事を書いたとき、
『役所を潰すなんてケシカラン!こいつはテロリストだ!』
と言って、行政が権力を行使できてしまう訳です。
それはあくまで行政側の判断ですから。
そう考えると、個人にとっては、
批判するとマークされるから辞めておこう・・・
という心理が当然働きますよね。でも、
言いたいことも言えない、そんな世の中じゃポイ○ン
ではありませんか?
戦前の日本と似ている
今の自民党政権は、メディアを通じて外圧への目を煽る(『北朝鮮がヤバイ!』など)ことにより、個人の自由を奪う権力を掌握しようとしている感じがします。
- テロは怖い/北朝鮮は怖い
- だから政府が取り締まらねば
- だから政府による個人への介入は仕方ない
その象徴が『共謀罪』であり、これさえあれば下手な話、『何でもあり』の権利行使ができてしまうわけです。
その論理展開って、戦前の日本とそっくりではありませんか?
法律に見る戦前との類似点
個人の自由を著しく制限した有名な法律は以下の二つでしょうか。
- 1925年:治安維持法
- 1938年:国家総動員法
これにより政府の「自由を束縛する力」は大いに高められ、反政府分子に対する弾圧は一層厳しくなったのでしょう。
これと同じようなことが、
- 特定秘密保護法
- 一億総活躍社会
- 共謀罪(New!)
と言った法律や政策と酷似しているように思うのは、お門違いでしょうか?
危険思想とは何か?
この記事を書きながら、井坂幸太郎の小説を思い出しました。
当局の言い分としては、「テロを初めとする危険思想を持つ人物を取り締まる」っていうのが根幹にあると思います。
しかし私が考えるに、危険思想とは
『特定の考えを、他の主体に押し付けようとすること』
ではないでしょうか。
絶対的に正しいと言える考えなんて、この世界には存在しません。
環境・社会・時代が違えば、『正しい考え』なんてものはガラッと様変わりします。
そう考えると、逆説的ですが、
「危険思想を取り締まること自体が危険思想である。」
であると言えるのではないでしょうか。
それでも個人が勝つ時代
もちろん、戦前と21世紀の社会では言うまでもなくあらゆる社会情勢が激変しています。
単純な構図として
「情報統制して個人の自由に介入する当局」VS「情報拡散して自由に活動をする個人」
と見た場合、戦前は体制側の方が有利だったのでしょう。
新聞は発禁処分にしてしまえばいい訳ですし、言論の自由を奪うのはさほど難しくありませんから。
しかし今日では、圧倒的に個人の側に軍配が上がることは明らかです。
それはアメリカが『イスラム国』を原理的に掃討不可能であることと同じようなものです。
要するに、世界中のどこからでもインターネットを通じて情報発信が可能な『個人』を断定し、口封じをすることは、現実的に考えて不可能です。
財力のある個人が、政府のスキャンダルや汚職を暴こうとその気になりさえすれば、ブラジルにいても遠隔操作で実現可能です。
政府は個人の情報を統制しきれないし、もぐら叩きも原理的に不可能です。
そう考えると、インターネットの情報技術は、政府や体制と戦うために個人に与えられた、最強の武器であるといえるでしょう。
(一応事情聴取されないように申し上げておくと)別に体制と戦おうとも思っていないし、テロを起こすつもりもありませんが。
役所の仕事も増える?
自治体や行政にとって、都合の悪い情報を流布する(それが真実か嘘かはさておき)主体がいた場合、
- マークしているブロガーのブログをチェック
なんて言うのも「業務の一環」になったりするのでしょうか?
それは本当に滑稽な事例ですが、まあ淡々とブログは更新していく所存であります。